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2010年07月 アーカイブ

知る権利とは?・・・その4

北海道新聞記者の取材源秘匿裁判では記者の取材源が民訴法上の「職業の秘密」に当たるところまでは消極的に認められた形でしたが、最高裁(昭和五十五年三月)は表現の自由との関係の判断を避けました。

法廷の写真を無断でとった北海タイムスの事件についての昭和三十三年の最高裁の臨魁では、「およそ、新聞が事実を報道することは、憲法三条の認める表現の自由に属し、またそのための取材活動も認められなければならないことはいうまでもない」としながらも「しかし・・・・・」と、それに制約があることをるると述べて報道の自由の侵害だと訴える特別抗告を棄却している。

この事例での札幌高裁が「写真の撮影は取材行為というべく、報道のための準備的行為であって報道行為そのものではない」としているのに比べれば、まだいいが、スッキリとしていないことに変りはなく、久保田きぬ子教授は、この決定を評して「取材の自由が確立されることは望ましいが、取材の自由は憲法上承認される自由であり、報道の自由と同じに憲法二一条の保障が認められるということはできない」と説いています。

つまり「承認」される自由と「保障」される自由とがあり、「承認」の方がよりランクが低く、弱いものであるということらしいです。

知る権利とは?・・・その5

マスコミが、国民の「知る権利」を代行し、それに奉仕するためにも、取材の自由が、法的に保障されなくてはなりませんが、次に国民自体の「知る権利」のことをもう少し、見てみようと思います。

判断取材のための自由を、もう少し、ふみこんで尊重すべきものだとし、かつ国民の「知る権利」のことにもはじめて言及し、その後の裁判の流れに大きな影響を与えた最高裁の決定が昭和四十四年十一月二十六日の博多駅テレビフィルム提出事件についての最高裁決定です。

実は、先に紹介した沖縄密約漏洩事件の各段階の判決、決定、最近のマスコミ関係の裁判にも、この最高裁決定の流れをくんだものが多いです。

その最高裁決定の中の表現は、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものです。

したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもありません。

また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない」となっています。

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